びぼうろくてきな

アイドルと声優がすきです

かさとわたし

 

ほんっっっっとに傘をよくなくす。傘には足が生えててわたしから逃げてるんだって思わないと納得出来ないくらいなくしてる。今週はまだなくしてないけど。

なので今日は「かさとわたし」をテーマに半生を振り返ってみようと思う。

 



小さい頃から数えきれないくらい傘をなくしてきた。


一番最初になくした傘のことは今でも覚えている。お気に入りだったピンクの水玉の傘。

端にフリルがついてたその傘のことがわたしは大好きで、晴れの日にも保育園に持って行くんだと駄々をこねていたこともかすかに記憶の中にある。


そのピンクの傘は確かタクシーの中に忘れてしまって、大泣きするわたしを母は「あんたが忘れたんでしょ!?」と叱り飛ばしながらも日を挟んで数回タクシー会社に忘れ物として届いていないか確認をしてくれた。
結局その傘は出てこなかったけれど、それ以来「無くすから一番欲しいと思った傘は選ばない。だってなくしたら悲しいから」という考えがわたしの頭にはインプットされた。


確かその後に買ってもらったのは赤いキティちゃんの傘で、わたしはその傘のピンクが欲しかったのだけれど、一番欲しい傘を選ぶのは躊躇われた。なくすことはこわいことだ。

 


それからたぶんその赤い傘もなくしてしまったわたしは、小学校の入学祝いとして町内の子供会で黄色い傘をもらった。


同じ町内の新入生はみんなおそろいの傘をもらっていて、ランドセルにかける黄色いカバーと黄色い傘は新入生の証みたいなものだった。
だがわたしはその傘を入学式前になくしてしまうのだ。なんということでしょう。

バスに乗ったときに置き忘れてしまったその傘はそのまま出てくることはなかった。


数日後にあった小学校の入学式は雨で、同じ町内から来た子たちはみんなその黄色い傘を持っていた。
子供心に気まずいなぁと思っていたわたしは入場前に体育館へ移動しながら雨に濡れたアスファルトの上で盛大に転び、一張羅を台無しにし、入学式には出席できず、膝小僧に大きな擦り傷を負うことになるのです。余談ですけど。

 


そして小学生の間は傘で川の水をすくってダメにしたり、ラッパ傘にしようとして完全に壊したり、寄り道先で忘れたり落としたりしてそれなりにたくさんの傘をうしなってきた。
でもなくすのと同じくらい壊したりしていて「傘をなくす」という点ではまだそこまでひどくはなかった小学生時代だったように思う。

 


中学生になったわたしはバス通学することになり、傘忘れ芸人としての才能を開花させる。
バスとは魔境だ。朝や夕方の混んだバスの車内で座ることができたわたしは手すりに傘をかける。そして座れたという安心感は自分の手を離れた傘のことを一瞬で吹き飛ばしてしまうのだ。
雑貨屋で500円位のかわいい柄の傘をなくしては落ち込む中学生へとわたしは成長する。

 

そして危ないのはバスの車内だけではなかった。そう、コンビニだ。
バス通学ということで行動範囲は広がり、学校の近くにもバス停の近くにもコンビニはあった。
コンビニに寄り道するのは禁止だという明文化はされていない校則的な何かがあったけれど、空腹に抗ってまできまりを守れるような規律意識の強い生徒ではなかったので、ふらふらとコンビニに立ち寄っては傘を忘れるというライフワークが生まれることになった。

 

また、通っていた学校でも傘の盗難が多発し、下足室にあった傘立てが各クラスの教室の前に設置されるという事態に発展したことも記しておきたい。
ビニ傘は盗まれやすいということを身をもって学んだのはこの時である。
それでも、わたしは懲りずに今でもビニ傘を使っているし、忘れたり盗まれたりを繰り返しているのでわたしの学習能力は欠如しているのだと思う。

そんな日々を過ごしながら成長したわたしは誕生日にビニ傘を10本単位でプレゼントされたり、雨が降りだしたのでその場で買った傘をそのお店が入っている商業ビル内で一度もささないまま忘れてめちゃくちゃに落ち込んだり、ラーメン屋で長話している間に雨がやんでいたにも関わらず傘を盗まれていたりするうちに傘は使い捨てだという結論に達するのである。
前世では傘との因縁があったに違いない。

しかし、最近のわたしの悩み事は「傘を買うと(持ち歩くと)雨が止む」という点に変わりつつある。
先日神戸を訪れた際、朝は降っていなかった雨が昼過ぎに激しく降り始めた。
天気予報を見ると夕方から夜にかけての降水確率は時間によっては100%。翌日も雨が降るとの予報だったので、買うしかないと傘を買って外にでると、なんと雨が止んでいるではないか。
そして降水確率100%だったはずの夜も、その次の日も結局雨は降らず、わたしは無用の長物を3日間持ち歩いていた。
そんなときに限って傘はなくさないのだ。どこかでなくすだろう、まあなくしても盗まれてもいいや。そう思っていた傘はいまも一度も使われないまま玄関に立てかけてある。皮肉なことだと思う。
昨日も、外に出ると前も見えないくらいの大雨が降ってきていた。
急いでいたし、荷物もあったのでタクシーに乗ると運転手さんに「いまが今日いちばん降ってますよ、お客さんほんとタイミング悪いっすねw」と軽い調子で言われ、降りた先で傘を持ち外にでると雨は止んでいた。
にわか雨どころではなく、水滴1滴も落ちてこないレベルで雨は止んでいたのだ。
こういうことが続くと、わたしには洪水を収める力があるのかもしれないと錯覚を起こしそうになる。自分の中にくすぶっている中二病の血が疼いてしまう。

実際のところ、別に洪水を収めたいわけでもなんでもなく、わたしは傘とも雨雲とももう少し友好的に生きていきたいと思っている。
雨が降ると頭が痛くなっても、傘をさすのがへたくそでも、傘をもつだけで行動がもたもたしがちになっても、雨が降りそうなときはさり気なく傘を持ち歩き、雨が降ったら何食わぬ顔で傘をさし、出先で雨に降られたら傘を買ってそれをさし「あー傘買ってよかったなー」と、そう思える日が来ることをわたしは期待している。

 

 

 

あーはやく梅雨あけないかなーーーーー